川越百万灯夏まつりの由来
松平大和守斉典侯の遺徳を偲んだ切子灯籠から始まりました
川越城主松平大和守斉典(なりつね)侯が嘉永2年に病没した後、三田村源八の娘、魚子(ななこ)が、「三田村家が斉典侯から受けた恩義」に報いるため翌嘉永3年の新盆に切子灯籠をつくり、表玄関に掲げたことがきっかけになり、町中をあげて斉典侯の遺徳をしのび、趣向をこらした見事な提灯まつりが行われていました。
その後中断されていましたが、こうした由緒ある行事と斉典侯の遺徳をしのぶ語り草から昭和35年の夏に川越市・観光協会・川越商工会議所の主催で復活しました。
昭和48年より併催行事として歩行者広場が実施される様になり、昭和57年には市制60周年を契機に名称も「川越百万灯夏まつり」と改められ、 市民参加型のまつりとして生まれ変わり、現在まで関係各位のご協力のもと、 小江戸川越の夏の風物詩として、盛大に開催されております。